PERISCOPIC PERGOLA
韓国は 光州ビエンナーレにて”PERISCOPIC PERGOLA”なる作品を作ってきました。アトリエ・ワン+塚本研としてですが。物見台をつくれというお題に対して、体を上げてもたかが知れているので目だけ上空に持ち上げてみては、という案をつくりました。なかなか反応は良かったです。


今夏に参加する韓国光州ビエンナーレのキュレーターになっていたけど、夏までに解放されるのだろうか。最後の言い回しがとても響く。これまでそのように生きてきた人の言葉には、字面以上の重みがある。
これは半端ない
研究室でずっとやってた研究が本になりました(上のタイトルをクリック)。そろそろ本屋さんにならんでいるはず。建築専門書というより、予備知識なしで眺めててもおもしろいように出来ています。ぜひ。
帰ってきました
おひさです。先週日本に戻ってまいりました。パソコンが壊れてしまいまったくの音沙汰なしでしたが、ちゃんと生きてます。今は東京の感覚を徐々に取り戻しつつあります。ただ帰って速攻修論提出を手伝っていたので、アカデミックな部分は一瞬にして呼び覚まされました。このためにこのタイミングで帰ったようなものなので、自分の今後を考えるとよいスタートが切れたのではないかと思う。真に東京の生活に戻るのはこれからでしょうか。ただコンビニとか成田から東京までの電車からの風景とかベタだけど日本の感覚ってやっぱりすごいなと思う。京成線のなかでひとり半にやけの変な人だったかも。スイスその他で粛々と学んだことが本当に価値をもっていくには、こういう感覚を忘れないことが一つのスタートなのでしょう。がんばっていきたいと思います。
今週あたりから皆々様にごあいさつにいけたらと思っおります。今後ともよろしくどうぞ。
サボタージュ
明日から一週間イタリアはペサーロというところに行ってきます。スタジオみんなで敷地見学的なことです。
ここ何週間かおとなしくスイスにいるので久しぶりの外出という感じ。最近はスタジオでスケッチしてみたり溜めてた本を読み進めたり森を走ったり。あまりに”普通”な生活をしてるので見る人が見ればサボタージュですが、ふと冷静に考えると研究室に入ってからこんなことなかったしこの先も一生ないかもなーとも思うので、まあそれはそれでよいかと思っていたりします。来月以降はスタジオも緊張感高まるはずだし、またせかせかと動き出すことでしょう。和辻哲郎があつい。
先月はみやふじが来たので、かの有名なアイガーへハイキング。あいにくの天気で標高2000mの雲の下端を歩く。サンフレッチェ優勝しないかなーとか思ふ。
BOKUTEI

住宅建築の10月号はアトリエ・ワン特集です。研究室で担当させてもらった住宅が発表されております。
今期はメルクリスタジオに参加しています。彼のレクチャーを聞いてると、ここは建築以前に芸術を学ぶところという印象が強いです。楽しいです。ただドイツ語がね。少なくともプレゼンで片言を喋るぐらいにはならねば。
内側に入る
5週間の長旅より帰ってきました。塚本研究室のリサーチを兼ねた旅行でイタリア、スペイン、ポルトガルの各都市を巡る。帰りにパリとオランダに少し。日本対オランダ戦見てきました。完敗でしたね。一日ずつ振り返ってみようかとも思ったがさすがに多すぎて億劫になったのでやめる。毎日毎日充実の日々でした。いま数えたら27箇所まわったみたい。
なによりイタリアの歴史の厚みには圧倒される。フィレンツェ、ローマには何度でも行きたい。たぶんこの旅で出会った最も素晴らしい建築はフィレンツェのパラッツオ・ダバンザーティだと思う。絶対に行くべし。スペインの南、アンダルシア地方のイスラム文化も素晴らし。アルハンブラ宮殿いいです。でもかなり暑くて死ぬかと思いました。ポルトガルはなんといってもシザです。ポルトの歴史地区もよかった。物価が安いし食べ物もおいしい。食べ物に関してはイタリアもそりゃすばらしかったです。文化、リズムとは内側に入って初めてわかるものだと実感。
素晴らしいものをたくさん見て随分と疲れる。いつも良いものを見るたびに、あまりにも自分の身の回りにある現状と違う(ように見える)ので、この素晴らしさをどう活かしたらいいのだろうか、自分もいいものをつくればいいなどと暢気なことを言っていていいものかと良く考えるが、最近はそんな心配は無用かという気もしてきた。
建築は「場所」の創出に関わるものだという認識と「場所」とは何かに気がついていればいいのです。要点は「ローカル=場所=範囲」がどのように成立するものなのか、逆に言えば「グローバル=非場所=範囲なきもの」とは何なのかということです。そしてローカル=範囲の問題が理解できれば、その内側に入って仕事をすることとは何かについて理解できるようになり、そして現実がなんらかの内側にしか存在できないことに気がつくと、理想とかけ離れた現実を嘆くより、その現実の内側をつくるものとの適正な対話について考えるほうがよっぽど生産的なことに気がつく。それが建築家の仕事であり、このとき初めてフィレンツェやシザが生み出してきた素晴らしき内側との対話を参照するべきなのだし、作家の創造力とはこの時点で働くべきものだと思う。だから僕らは良きものから学び、僕らの内側で仕事をすれば良いのです。すれば良いっていうかするべきなのです。こういう話をすると大抵、自分がない的な批判をうけるのでがっかりするが、いわゆる作家性とか恣意性とかの問題よりよっぽど広くて豊かな世界だと思うんですけどね。具体例なしだと意味不明かもですがそういうことが最近わかってきています。
いくつかの読書と実際の旅との往復の中で、アルド・ロッシが「都市の建築」で言わんとしたことやコールハースやハーヴェイが非場所と呼ぶものの意味する所がよく理解できるようになってきた。と思う。こうなってくるとギーディオンやノベルク・シュルツとか読んでみたいかも。おもろいんですかね、あれは。
写真はフィレンツェのパラッツォ・ダバンザーティ。魅力の微塵も伝わってないね。中がすごいのです。撮影禁止だったので。




